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今回の川西小学校物語の最後にご登場いただく丸橋さんは、今から16年前の24才の時に川西市商工会青年部員となられた方です。お父様の経営されている電気・消防用設備工事会社の後継者として美園町にて日常業務と青年部の行事の多忙な日々を寛容に遂行されていらっしゃる40歳のナイスガイです。川小時代の愉快な少年期のお話を伺うことができました。それでは、お楽しみください。 |
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川西小学校物語のトリを飾らせて頂くのは何か少しおこがましい感じがしますが、ほんとに川西小学校は自分が大人に向う成長過程の出発地点だったんだなぁって。高度成長期の時代の流れの中にあって何も不便だとか不足なんかを感じる事もなくただ日々空が青いなぁとか草野球が面白かったなぁとかで興味のあることしかしないしただ飯食って風呂入って気がつけば思春期に差し掛かっていた。はっきり言いまして学校の先生や行事で懐かしいなぁとか心に残って忘れられないなんてことは皆無ですよ。いっぱい遊んで過した、仲間がいつも側にいた、暗くなるまで外で遊んだ。これにつきます。
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こんな感じで丸橋さんのお話がすすんでいく中、その当時の出来事なんぞを少し詳しくお聞かせ頂く事にしました。
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・5〜6年生のころ校庭に全校生徒で創立100周年の人文字を作った。
・木造校舎の13段目を踏むとお化けがやってくるので飛ばして登った。
・だるまさんがコロンだを嫌になる程やった。
・駄菓子屋に通いつめた。おでんのたまごが1つ50円で一番高かった。
・川で釣ったフナを友だち3人で食べて翌日全員腹をくだした。
・校門前に針金鉄砲を売るおっさんが良く来てた。もちろん買った。
・今は無き呉羽座へ児童映画を見に行った。日活ロマンは当時はありません。
・暗い夜道は縦3人で歩くのではなく、横3人並びで家路を急いだ。
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どうでしょうか?みなさんもこんな小学生ではなかったですか。結構恐いもの知らずでなんでも試してみるが本当はめちゃめちゃ怖がりだったですよね。
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通学の話しをします。当時、小戸に住んでいた私は、川沿いに通学させてもらえなかったことが不思議でしかたなかったのでした。かなりの遠回りをして通っていたのですが低学年の頃は高学年のお兄ちゃんに先導されながらだったので無意識でしたがいい加減年をとってくると納得がいかいかなくなり先生にきいたことがあるのです。それは川沿いの道は交通量が多いからだよ。ふ〜ん。気持ち的にはモヤモヤは解消されていないんだけとも納得している自分がそこにあったかな。当時、学校から帰って遊びに行く時は一度ランドセルを家に置いてからが決まり。で、自転車にまたがって仲間と池田伏尾スケートリンクをまだ越えて秘密の滝壷へ行き、飛び込み合戦。そして釣り。当時は自転車で何処までだって行けると信じていた。浅はかである。猪名川では手長エビ・ウナギ・巨大ナマズ(70cm級)が簡単に釣れた。池田の細川辺りではクワガタ虫やらカブト虫がじゃんじゃんとれてお店に業販した。すこし儲かると駄菓子屋へ直行。汚れたらそこらじゅうの銭湯へ自転車で出掛けた。制覇する達成感がたまんなかった。遅く帰宅すると親に殴られた。親も先生もおまわりさんもとても恐ろしかった。今とは大違い。自慢じゃないが僕はスポーツ少年だったのでつまらない喧嘩は売られなかった。ガキ大将は幅を利かせていた時代で自分も少しはやられた。悔しくて、3つの剣道場に通った。木刀で喧嘩を仕掛けたときもあった。未遂で終わったが…。と同時に苦手であったローマ字と九九をマスターするためのそろばん塾にもトリプルスクールで通った。2日でほぼマスター。簡単ジャン。コツをつかむとかなり偉くなったきがするのは純朴の証し。しかし、その後、算数はトップクラスになりました。習い事の帰り道ふとアポロ13号が月に行く時代にやはり夜空の月を見るとうさぎがもちつきをしていると思った。こんな少年期。
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・3年生の担任女性教師の苗字が結婚と共に変わった。理解不能。
・実は川小のプールの下には、墓がある。誰だ足つかむ奴は。スケアリー!
・ゲームして負けた時の一言。ハイ、グランド100周!! ですから…
・男女問わず全校生、記念切手・切符・べったんコレクター化現象つづく。
・校内及び校外派閥による仁侠なき戦い真似事ブーム絶頂期。ケンカの嵐。
・夏の終わりの学校のプール。緑色の水のなかに先生フナ放流。よい子の坊ちゃんお嬢ちゃん釣りなせぇ。と担任。1回だけありました。ほんとの話。
どうでしょうか?こんな断片的な記憶だけで語っているこの話はイケテいるかは別としてお楽しみいただけたらうれしいですが。
6年生の時の話をします。スポーツ少年だった僕は生徒会長に立候補する運びになりました。ただ、スポーツマンだということだけで推薦されたのです。3人の決戦になり給食の時間に当選発表がありました。黒板に書き出される投票数の正の棒線が無情にも少な過ぎました。落選。赤っ恥じ満開で凹みました。人なんて、海のばかやろ〜気分でした。はい、次のネタ行きます。当時プールの授業の時は女子生徒は教室とは違う部屋で着替えをするようになっていました。しかしながら体育の時間には昔ながらに男女共同時に着替えを行うという慣習に成長の早い女子はいい加減幻滅していたのですが先生に諭されて泣き出した生徒に少し異性を感じはじめた僕だったようです。そこにはもうすぐ大人の世界が…。グランド100周して帰ります。いまは、消防団の訓練などでたまにグランドに入りますが本当に何も感慨深く思い出す事は何もない。ただ、当たり前にそこに存在する校舎があるだけ。今の自分が元気でこの地に立っているという事が自己存在の意味。まだまだプロローグなんですよね。
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長いお時間愉快なお話をして頂き有難うございました。これからも川西小学校で大きくなっていく子供達の行く末を暖かく見守っていきたいと思います。
インタビュー:Tでした。次回の企画はただいま骨子のまとめ段階に入っております。4月よりの新シリーズにこう御期待ください。 |