それにより川西に誕生した小学校は、明治6年に、加茂、小戸、広山、多田、赤松、山下、黒川の七校と翌年明治7年に設立された平野小学校の計8校です。
川西小学校の前身の上東小学校は、明治11年5月、政府の財政難による学校統合の政策によって、小戸、広山の2つの小学校が統合され栄根村(現在の位置)に校舎を新築し、設立され、同年7月に開校しました。(右図) |
(明治11年5月建設の上東小学校校舎全図)
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| 当初の小学校は、満6歳から13歳までの8学年を、下等小学校4年、上等小学校4年とし、6ヶ月ごとの試験によって順次上の級に進むしくみになっていました。試験は厳格で、卒業するのは容易ではなかったため、全科卒業生の男子には、帽子を、女子にはかんざしが与えられ、それ以外の生徒はこれに似た帽子やかんざしを使う事が禁じられ、全科卒業者に自負心を持たせ、励ましとしたのでした。 |
(全課程卒業の男子には帽子一頭が与えられた)
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それでも就学率は大変低かったため、就学の簡易化をめざし、明治15年には、初等科3年、中等科3年、高等科2年の三等科制に改めますが、上東小学校は中等科までしかなく、また高等科に進学できる者自体もきわめて少なく、やはり就学率はよくならなかったため、就学実績を上げるために郡長は学務委員を督励して不就学の実体を調べ、父母に不就学や欠席の理由を聞いたり、正当な理由でない不就学に説論を加えたりと、就学督責規則を実施し厳しく就学を勧めたのでした。 |