今年川西市は、市制50周年を迎える記念の年にあたります。e-kawanishiホームページでは、市制50周年を記念して、「川西小学校物語」と題し川西小学校の歴史を辿りながら、様々な角度から川西の昔の姿をお届けしてまいります!
 川西小学校は、126年の古い歴史を持ち、川西の中でも最も歴史の古い小学校のうちの一つです。学校の創立からの歴史を辿りながら、その歴史と共に変化してきた地域の様子や、川西小学校の出来事等を、「創立百周年記念誌 川西小学校百年のあゆみ」 に基づきお届けしてまいります!また「小学校懐かしの想い出」のコーナーでは、川西の小学校を卒業されたOBの皆様に、インタビューにて小学校時代の想い出を語って頂いています!
 川西に生まれ育ち地元をよく知る方も、川西へ新しく越してこられた方も、また、故郷川西を離れ、全国各地でご活躍されている皆さんも、懐かしい小学校時代を振り返りながら川西昔物語をご覧下さい!



学生の公布と村の小学校

明治政府はその基盤として兵制と学制の二大政策を樹立して出発しました。
学制が公布されたのは明治5年8月2日。当時は学問は国家の為でなく、個人が自分の身を立てるためのものという考え方であったため、村人達の金銭的な大きな負担のもと学校の建設は始まりました。
 それにより川西に誕生した小学校は、明治6年に、加茂、小戸、広山、多田、赤松、山下、黒川の七校と翌年明治7年に設立された平野小学校の計8校です。
 川西小学校の前身の上東小学校は、明治11年5月、政府の財政難による学校統合の政策によって、小戸、広山の2つの小学校が統合され栄根村(現在の位置)に校舎を新築し、設立され、同年7月に開校しました。(右図)   

(明治11年5月建設の上東小学校校舎全図)
 当初の小学校は、満6歳から13歳までの8学年を、下等小学校4年、上等小学校4年とし、6ヶ月ごとの試験によって順次上の級に進むしくみになっていました。試験は厳格で、卒業するのは容易ではなかったため、全科卒業生の男子には、帽子を、女子にはかんざしが与えられ、それ以外の生徒はこれに似た帽子やかんざしを使う事が禁じられ、全科卒業者に自負心を持たせ、励ましとしたのでした。


(全課程卒業の男子には帽子一頭が与えられた)

 それでも就学率は大変低かったため、就学の簡易化をめざし、明治15年には、初等科3年、中等科3年、高等科2年の三等科制に改めますが、上東小学校は中等科までしかなく、また高等科に進学できる者自体もきわめて少なく、やはり就学率はよくならなかったため、就学実績を上げるために郡長は学務委員を督励して不就学の実体を調べ、父母に不就学や欠席の理由を聞いたり、正当な理由でない不就学に説論を加えたりと、就学督責規則を実施し厳しく就学を勧めたのでした。


小学校令と簡易小学校の誕生

明治19年小学校令が制定されてからは、県により進められていた地方の学校制度は、直接文部省によって統一的に推進されるようになり、従来6ヶ月を一級としていた制度が改められ、4月を学年のはじめとする学年制を採用し、教育は国家の為のものと、はじめて示されました。しかし、一段と厳しさを増す地方財源を守るため授業料が徴収されたため、やはり就学率は低下、このため、明治20年、上東小学校は授業料が無料の一年から三年までの上東簡易小学校となり、授業料を徴収する尋常小学校の代用として、生活の困窮とならぬよう、就学を促したのでした。


おそばんはやばん
  明治22年頃から就学率は向上し、在籍児童数が増えてきました。それに伴って校舎を増築し、教室数を充足し、教員の人員を増やすことが必要でしたが、国の経済力が伸び悩み、地方の公共団体の財政もいきづまり、校舎を整え、教員を増やすこともできませんでした。そこで、ひとつの教室を午前と午後にわけて、二つの学級で使用し、教員も二つの学級を掛け持ちするといった、二部教授と呼ばれる教育が行われるようになりました。例えば明治38年の学級編成をみると、
 
(明治37年頃の児童と生徒)
尋常科二年の一組は男子50名、二組は女子60名で担当教員は一人だったため、一組が午前中、学校で勉強して、昼までに終わって下校する「はやばん」の時は、二組は昼食後に登校して、午後に勉強して夕刻帰宅する「おそばん」になり、時期を決めて交替していました。
こうしたおそばん・はやばんの制度は主に尋常科一・二年に適用されて、明治22年頃から大正15年まで続いています。昭和になってやっと一人の教員が一つの組を受け持ち、朝から一つの教室で勉強する現在の姿になっています。


教育への理解と就学率の向上
明治33年の小学校令の改正によって、公立の小学校では、原則として授業料が廃止されました。それまでは授業料を納めることが原則であったので、地方財政が苦しくなると、授業料が増額され、父兄の負担が大きくなることがしばしばありました。授業料廃止と同時に「義務教育国庫補助法」が成立し、小学校に対する国からの補助金が支出されることになり、ここで義務教育の無償制の第一歩を踏み出す事になったのです。この事は就学率の上昇につながり、 上東小学校が設立された明治11年の全国の就学率平均は41.3%であり、これを男女別にみると、男子57.6%、女子23.5%であったのが、明治40年代には、男子98.5%、女子96.1%、平均97.4%となっています。日本国が発展して、国民生活が次第に向上し、国民の教育に対する理解と女子に対しても教育の必要性・熱意が向上したことを示しています。
その後明治40年の小学校令改正では、義務教育は従来の4年から延長されて6年間になりました。この後昭和22年の学校教育法公布によって義務教育が9年に延長されるまで、義務教育6年制は続いていきます。


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