今年川西市は、市制50周年を迎える記念の年にあたります。e-kawanishiホームページでは、市制50周年を記念して、「川西小学校物語」と題し川西小学校の歴史を辿りながら、様々な角度から川西の昔の姿をお届けしてまいります!
 川西小学校は、126年の古い歴史を持ち、川西の中でも最も歴史の古い小学校のうちの一つです。学校の創立からの歴史を辿りながら、その歴史と共に変化してきた地域の様子や、川西小学校の出来事等を、「創立百周年記念誌 川西小学校百年のあゆみ」 に基づきお届けしてまいります!また「小学校懐かしの想い出」のコーナーでは、川西の小学校を卒業されたOBの皆様に、インタビューにて小学校時代の想い出を語って頂いています!
 川西に生まれ育ち地元をよく知る方も、川西へ新しく越してこられた方も、また、故郷川西を離れ、全国各地でご活躍されている皆さんも、懐かしい小学校時代を振り返りながら川西昔物語をご覧下さい!

川西小学校の前身の上東小学校が、明治11年に誕生してから100周年にあたる昭和53年に発刊された「川西小学校百年のあゆみ」にて、卒業生の方々が集まっての座談会の様子が紹介されました。今月は、第3回の大正時代の卒業生に続き、昭和時代前期の川西小学校の卒業生が語る貴重な思い出をご紹介します。

(座談会の様子)
出席者
火打   岩畑 義一 (昭和八年卒)
滝山   上中 昭次 (昭和十六年卒)
日高   打田 正治 (昭和十二年卒)
寺畑   大巻 はるゑ(昭和十二年卒)
寺畑   奥田 富子 (昭和十二年卒)
寺畑   大村 梅野 (昭和十二年卒)
中央   勝川 精治 (昭和十一年卒)
寺畑   呉服 太美治(昭和十二年卒)
下加茂  笹木 春江 (昭和十二年卒)

出在家 滝井 駒二郎(昭和十八年卒)
小戸  武田 邦造 (昭和九年卒)
栄根  長谷川 鉄蔵(元本校教諭)
小戸  広岡 実  (元本校教諭)
加茂  松村 義治 (昭和十二年卒)
火打  安田 秀雄 (昭和六年卒)
萩原  横田 稔  (昭和十四年卒)
久代  吉川 源一 (昭和六年卒)
司会  林 太三郎 (元本校教頭)

司会 母校の創立百周年記念誌刊行についての座談会を催しましたところ、厳寒にもかかわらず多数ご出席くださいまして誠にありがとうございます。座談会は、明治11年の創立から現在まで、5期に分けていたしますが、この会場で昭和初年から昭和20年終戦時までの、いろいろの思い出を話していただきたいと思います。

 司会 当時の校舎や校庭について話してくださいませんか。
- 東校舎の木造二階建が大正末期に落成して、新校舎といっていました。その南側に木造平屋の古い教室につづいて柳の校舎があり職員室と小使室がありました。小使室横の弁当ぬくめを思いだしますよ。
- 運動場の西南に古い講堂がありました。この講堂で学芸会や卒業式をしました。講堂の前に楠があり、運動場の真中にはユーカリの木が1本ありました。名物の柳の木は空高くそびえて夏はこの下でよく遊びました。
- 鉄筋三階建の本館は、御大典記念事業として計画され、昭和4年4月1日完成しました。当時は阪神間唯一のりっぱな校舎で川辺郡の中心校としての名にふさわしい建物でした。総工費9万円と聞いていました。
昭和3年に新築した鉄筋校舎
- 5年生になると鉄筋校舎に入れるのが唯一の楽しみでした。私たちは、よごさないように一生懸命お掃除しました。
- 南木造二階建校舎と北木造二階建校舎は戦時中に建てられたが余り記憶にはありません。

 司会 新講堂については思い出が多いでしょう。
- 浅野三吉町長提唱の一銭貯金で建築されました。生徒は一銭貯金袋に毎月何銭か入れて学校へ持っていきました。


昭和13年、町民の熱意で
完成した新講堂

- 浅野町長はえらい人でした。50銭玉1個を持って石川県から大阪へ徒弟として来られた話や、学校は尋常科4年生までしかいっていないが、二宮金次郎のように努力すれば立身出世ができるという話をよく聞かされました。
- 鉄筋組立作業が珍しく見ていました。落成記念に文鎮をもらいました。落成記念の遺家族慰安会や生徒の学芸会が盛大に挙行されました。
- 講堂の電気設備は、津国鶴吉氏が寄贈されたと聞いています。古い講堂の三倍の広さで、阪神間で一番大きな講堂でした。

 司会 遠足や運動会などの行事について話してください。
- 私の小学校時代の遠足をいってみます。昭和3年1年生、鴨神社(徒歩)。昭和4年2年生、満願寺(徒歩)。昭和5年3年生、中山寺(帰り電車)。昭和6年4年生、箕面公園(帰り電車)。昭和7年5年生、鳴尾ゴルフ(帰り電車)。昭和8年6年生、有馬(帰り汽車)。当時は、徒歩の遠足ばかりだったが、けっこう楽しい思い出です。
- 昭和12年度の卒業旅行は3泊4日間の東京と伊勢旅行でした。川辺郡内小学校連合で、11両特別編成の列車で池田駅を発車しました。中央線を夜行で東京に着いたのは朝の7時ごろでした。宮城・明治神宮・靖国神社に参拝して東京で1泊、帰路の汽車の窓から見た太平洋の美しい景色は忘れられません。
- 名古屋を通り宇治山田市に到着したのは夕方でした。二見浦の紅葉館に泊り、翌日は内宮・外宮に参拝し皇大神宮の神々しさに胸をうたれました。宇治山田市発で奈良廻りで池田駅に無事到着したのは午後5時ごろでした。旅行費5円、小遣銭2円以下厳守でした。
- 去年(昭和52年)4月は卒業して40周年を記念して長谷川学級と林学級合同の有志15名は、東京旅行を思い出して、鎌倉方面へ1泊旅行しました。50歳のおばさん旅行は、卒業旅行以上の楽しいものでした。

 司会 戦争がしだいに激しくなり、学校教育も戦時体制に進んでいきました。
- 最初に野路先生が出征され、次々と応召されました。覚えている先生では、岡田先生・青木先生・広岡先生・辰巳先生・新井先生・藤本先生・長谷川先生などです。
- 日の丸の旗を振って国道の池田駅まで送っていきました。
- 昭和16年川西国民学校に変わり、教科書もすっかり改革されました。
- 太平洋戦争に突入して、空襲がだんだん激しくなってきました。生徒は防空頭布モンペ姿で、地区別に並んで班旗を先頭に登下校しました。授業中に警報が鳴ると、すぐ隊を組んで走って帰りました。
- 北は滝山から南は久代の遠い家まで走って帰りました。運動場には多くの防空壕が掘られました。
- 大阪や神戸が空襲で焼かれて、縁故疎開でどんどん転入生が増えました。全校生徒2500人をこえ、1学級70人にもなりました。教壇から壁まで机でいっぱいでした。
- 運動場は全部いも畑や麦畑になり、運動会もできなくなりました。1にも2にも食糧増産で兎や豚を飼い、教室でも鶏や家鴨を飼いました。

 司会 薪運びに猪名川町や一の鳥居までいきましたが、とても苦しかったでしょう。
- 5年生以上の男女が動員されました。代用食の弁当を腰に下げ、運動靴の配給が無いから草履きでいきました。朝8時校庭を出発して猪名川町の山へ着いたのは12時です。帰りは1束ずつの薪を背負います。肩は痛いし草履は破れて、泣くにも泣けんほどつらかったです。学校へたどりついたときは日が落ちて夕方になっていました。「勝つまでは欲しがりません鬼畜米英やっつけるぞ」と。
- 子供心にも「勝つまでは欲しがりません」とがんばりましたね。食物もないし、紙1枚にも不自由しました。神社参拝をして必勝を祈願しました。
- 昭和20年8月15日とうとう無条件降伏の敗戦になり、みんな泣きました。

司会 私たちは、この記念誌によって、わずかでも川西小学校の歩みを語り伝えることができれば幸せこのうえもございません。最後に母校のご恩に感謝しつつ、川西小学校が永遠に発展することを祈ると共に2度と戦争を繰り返さないことを誓いましょう。ありがとうございました。皆さんのご健康をお祈りして閉会いたします。


 


参考図書  川西小学校 百年のあゆみ 川西市立川西小学校創立百周年記念事業実行委員会 発行
トップ/会員検索 今月のプレゼント e−かわにしわーるど 頼モード おトクーぽん
川西市商工会 〒666-0011 兵庫県川西市出在家町1番8号 tel. 072-759-8222  fax. 072-759-8010