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近藤校長小学校へ走る
ある朝の出来事である。近藤校長が大きな荷物を小脇にかかえて、小学校へ向かってつっ走った。これを見ていた小学生達は、何事がおこったのかと不審に思った。50歳をこえた校長が、走ったのを見たのははじめての事であった。
事情を聞いてみると、学校の始業時間に遅れると思って、無我夢中で走ったことがわかった。校長はウォルサム製の銀のまんじゅう形時計を愛用し、正確なことを自慢にしていた。時計の針を読み誤ったのであろう。泰然自若のように見えて、あわてんぼうで間の抜けた一面もあった。
生まれたままの姿で職員室に立たされる
猪名川の学校から少し南に下った所に、大水が出ると川底が削り取られて、大きな水たまりができた。それを子供達は、「猪名川の池」とよんでいた。七月の暑い日の午後、五・六年生の悪童10人ばかりが猪名川へやってきた。まっ裸のままでその池にとび込んで、しきりに水しぶきをあげていた。運悪く宮川重男先生がこれを見つけられた。宮川先生は高等科の生徒にいいつけて、脱ぎ捨ててあった衣類全部をさらって、学校に引き上げてしまった。
「さあ、困った」10人の悪童どもは、真っ青になってしまったが、もうどうにもならなかった。前を両手でおさえて、おそるおそる職員室へまかり出た。先生から「禁止した場所で水泳した者は、罰としてそこに立っておれ」と叱られた。
生まれたままの姿で職員室に立たされたのは、おそらく前代未聞のことであろう。
おへそのような藤の森
阪急電車の川西能勢口駅から南に下った所、川西中央市場の西に朱ぬりのほこらを祭った藤の森がある。明治のはじめごろには、その付近一帯は田や畑で囲まれて、おなかのおへそのように小高い丘があった。小学校から先生につれられてよくこの藤の森に遊びにきたと思い出を話される。
着物を着て藁草履をはいた子供達が、先生と一緒に学校から藤の森にやってきて、丘をのぼったりすべりおりたり、歓声をあげている姿が浮かんでくる。川西市の繁華街の一角にある今のようすを見るにつけても、明治は遠くなりにけりの感慨がひとしお深いものがある。
柳と松とユーカリ樹
現在の小学校には明治の昔をしのぶものはほとんど残っていない。名物の柳は功なり名とげて昭和47年3月20日春分の日に、春嵐に根本からぽっきり倒れて大往生をとげた。
大きなユーカリ樹があったとの話はよく聞いたが、その場所すらさだかでない。ただひとつ記念すべき樹木は、運動場の南に今なお濃い緑の葉を茂らせている松の木だと聞かされた。学校から道を隔てて南にあった、川西村役場の庭に植えられたものである。100年をこえる樹齢をもったものとは思えぬ若々しさがある。学校の変遷を見守ってきたこの松の木を、たいせつに守っていきたいものである。
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