司会 40年代に入りますと、市内の情勢は飛躍的に発展するわけですが、
北部丘陵地の大型宅地造成による急激な人口増、四つの大型店の進
出、駅前再開発計画、鉄道高架事業の計画発表等、また工業部にあ
っては、事業所の増加等見られるのですが、商業、工業ともにいろ
いろな面において歪がでてまいります。この辺の事情についてどの
ように見ておられますか。大西さんのお話しを伺いたいと存じます。
大西 大店法が施行されたのが昭和48年10月ですが、市内大型店4店舗
が進出してきたのは、大店法施行まえということで、大型店占有面
積において一躍、全国ワーストテンに入ったのですから、その混乱
ぶりは大変なものがありました。
射場 おっしゃる通りなんですが、マクロ的に見ますと急激な人口増があ
って、そのことが下支えになっていたものと思えます。その後遺症
がいえぬまに、駅前再開発でしょう。商業者の声が大きくなったの
のも当然ですね。
川田 工業関係について申しますとこの時期、事業所も増え、生産高も飛
躍的に伸びた時です。ところが反面、排水、騒音、煙害等の環境汚
染の問題がでてきました。先程の人口増に伴う住工混在の問題も起
こってきました。工場立地の問題は、現在でも尾をひいております。
中島 工業立地としては、京阪神という大経済圏を控え、内陸部に属して
申しぶんのないところなんですが、この時期になんの施策もなかっ
たということは、今にして思えば大変残念なことでありました。
四谷 商業問題に戻りますが、川西市の駅前再開発計画が発表されたのは
昭和52年でしたか。我々の方に発表になったのは53年頃と思われ
ます。阪急川西能勢口の駅舎が西へ180メートル移動すると言うこ
とで、3商店会は大変なショックでした。 |