〜川西市における皮革産業の生い立ち〜
[川西地方](火打)
川西地区では、慶長8年(1603)、徳川家康が宮中参賀に向うにあたり、火打の役人に命じて絆綱(たづな)および鞣革の用達を命じたといわれている。つまりその頃にはかなりの皮なめしを行う人たちがいたものと思われる。また、寛永の頃になって播磨の住人西森某がこの地に来て、製革の有利なることを力説、村民に当業の普及をはかったといわれる。しかし、元禄8年(1695)の記録には、皮革生産はまだ小規模であったという。江戸時代末期の元治・慶応の頃、原料は西浜と呼ばれた渡辺村より購入し、綴革(とじかわ)と呼ばれる白鞣革を製造していた。綴革は革紐、鎧具、刀劍の柄巻、さや巻、劍道具、細工用革、塗革用等に大阪、姫路などに売られた。また革羽織や革桍、草履用等にも白鞣のうすいもの(明バン鞣革)を使用して作られていた。原料は馬皮牛皮が主であった。
明治27〜28年(1894〜1895)頃より天津馬と呼ばれる干皮や泥干皮と呼ばれる牛皮が輸入されるようになり、白鞣革も時代に合うクロム明バンを使った鞣が盛んになり、製革業も益々盛大になってきたため、本来の白鞣法がすたれ、日清戦争頃から軍需用革の急増に伴って植物タンニン鞣製が始まっている。当時は川漬による毛抜法で、数日猪名川に漬けて毛抜きをした。乾燥は、四方に杭を打って革を張り乾燥したが、途中の工程は他地区と殆ど変わらない。仕上がりまでの工程は、何れをとっても大変な重労働であった。同31〜36年(1898〜1903)頃から、それ迄の家庭内工場より別に工場を持つ植物タンニン鞣工場等が建ち始め、また近代的な製革技術が取り入れられて石灰漬や脱灰法も研究され、クロム一浴法・クロム二浴法も一般化されつつあった。大正初年、膠製造業も当時10軒位あった。また村内皮革業者は、住宅と工場を分離する事を決議した。同4年(1915)から同10年(1921)頃にかけて、ほぼ現在に近い工場郡が出来た。大正始めから大正終り頃にかけて鼻緒地としての白鞣革が盛んに製造され始め、京都、奈良の僧侶用の履物の鼻緒として多く用いられたが、徐々に一般化して大衆用にも使用され、火打の製造量のうち6割位に達した。同10年頃から武道具革の製造が始まり、川漬による毛抜法もしなくなった。また、靴用裏革も製造され始めた。
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昭和初年、中国貿易や軍需品、一般民間の需要と相まって皮革工場の数も急激に増加した。
クロム裏用革・武道具用革
クロム武道具用革
植物タンニン鞣革
白鞣革 |
約10軒
約3軒
約24軒
約34軒 |
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また、それに伴って運送業者が約3軒も生まれ、小揚業者も出てきた。同11年(1936)頃、第二次世界大戦前に皮革類統制令が出され、当地区の皮革業は1組合に統合された。川西皮革工業(株)、北摂皮革(株)、明星皮革(株)の3社に各業者は分散して勤務するようになった。同26年(1951)に統制令が解除になり、小規模の皮革業者が乱立することになった。また、同時に川西皮革工業(株)は解散して平和皮革工業(株)となり、津國鶴吉が社長に就任した。当時は、北広製革所(北野広松社長)と安田工業所(安田喜兵衛社長)の2社が計量業務を併業していた。北摂火打地区の皮革産業は徳川時代から近くを流れる猪名川沿いに発展してきたが、皮革鞣製にこの川の水が適合したためか、大変柔らかい革が製造出来るようになった。そのため現在でも地区の殆どの業者が井戸を掘るか、工業用水として猪名川から引き込んだ水を使用して鞣製している。
戦後、ソフトな衣料用・手袋用皮革が世界的な反響を呼び、火打地区の総生産高の約10%が輸出用として製造販売された。手袋に関しては厚さが0.3〜0.4mm程のゴルフ用、0.6mm程の婦人用、1.2mm程のスキー用及び紳士靴用革等が韓国・台湾・アメリカ・ヨーロッパ等に輸出された。収縮性、柔軟性に富んだ素上げ調(ドラムダイ)の革が、利用する人の心に天産物の特長である肌にフィットする感覚、親近感を与えるためと思われる。ソフトで腰のある袋物用革も北摂火打産皮革の特長である。昭和の終わり頃まで輸出産業として繁栄してきたが、平成に入ってからは世界的な皮革市場の変動により輸出が停滞し、地区全体の営業活動に影響を与えている。平成7年1月17日5時45分頃に起きた阪神・淡路大震災のため、地区の工場の殆どが被害を受け、暫くの間操業不能に陥った。工場建物や設備機械の被害も大変な打撃であったし、さらに円高が及ぼす貿易不振、差損等が業者に暗い影を投げかけている。この様な厳しい状況の中にあって各業者は、生き残る道を模索して懸命に努力していた。
こういった状況下、阪急川西能勢口の北600mに位置する皮革産業関係の工場が過半数を占める住工が混在したこの地域にまちづくりとして、平成10年に住宅街区整備事業の都市計画が決定され、同年に設立された川西中央北地区住宅街区準備組合が中心となってすすめられた。しかし、この間、長引く厳しい社会経済状況等の影響から実現に向けた進展はなく川西市の中心部に求められる社会的要求の変化から、これまでの計画に基づくまちづくりの実現は困難な状況となってきた。そこで、平成14年には準備組合が設置した「川西市中央北地区整備計画調査検討委員会」から、『環境と共生による水と緑豊かな環境形成』と『安心して住みつづけられるふるさとづくり』をテーマに新しい地域交流拠点となる複合都市核形成を目的とした「まちづくり提案」がなされた。この提案の中の実現方針の一つの火打前処理場閉鎖と基盤整備の先行的実施等により、これまで川西市の一大基幹産業として市の経済を支えてきた皮革産業が移転に協力することになった。 |
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〜製革工程〜
製革の作業は、準備工程、鞣し工程、仕上げ工程の3工程に大別できるが、それぞれの工程は製品革の種類により、独特な細かい作業から構成されている。クロム鞣および植物タンニン鞣の代表例を挙げる。 |
| 1. 牛、馬、羊、やぎ皮などが輸入され、豚皮のみが国産原皮となっている。原皮はアメリカ、オーストラリアの他にヨーロッパ、東南アジアなどからも輸入される。 |
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| 2. 日本の港へ到着後、輸入手続きをして倉庫へ持ち込まれ、その後各製革工場へ運ばれる。 |
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| 3. 原皮を生皮に戻し、付着している塩分・汚物を取り除く。 |
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| 4. 石灰液に漬けて毛を皮から抜き取る。毛を抜き取った面が皮の表面(銀面)になる。 |
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5. 皮の裏側に付いている不用物を取りのぞく。
6. 製造する用途(靴用、かばん用、衣服用など)に応じて、皮の厚みを分割する。 |
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| 7. クロムなめし、タンニンなめしなどの方法で皮にいろいろな特性を持たせる。 |
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| 8. 水分を取り除くと同時に、革を伸ばす。 |
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| 9. 革製品の用途に応じて、革を削って最終的な厚みにする。 |
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| 10. 革の柔らかさなどを調整しながら染色する。 |
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| 11. 染色した革の水分を取り除くと同時に革を伸ばす。 |
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| 12. 乾燥した革を揉みほぐしてやわらかくする。 |
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| 13. 革の種類によっては、表面をペーパーで擦りとり、なめらかにする物もある。 |
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| 14. 自動スプレー機とかロールコーター(手塗機)によって、革の表面を塗装着色する。
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| 15. 艶を出す目的でアイロンをかけ、美しさを強調する。また、革にいろいろな模様をつけるために、型を押すこともある。
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| 16. 革の面積をはかる。 |
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| 17. 革が汚れないように荷造りして発送する。 |
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| 18. 靴、かばん、ベルト、衣服、手袋、グローブなどの製品になる。 |
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